丸メガネの空想

パニック障害寛解・うつ悪化中のニンゲンの記録

なにもしないことをするという事

診察

まずは診察、カウンセリングであったことから。何かをしようとしても手につかず、無気力、倦怠感、さらにはなにもしたくないとまで思ってしまい物事に集中できない。これをテーマにカウンセリングを進めていきました。最終的にはなにもしないことをするというところに着地しました。さらに診察へ。なぜこのようになにもしないのか、うつ状態、回復途中でも途中で躓いても脳が疲れていると自然と動くことを拒否するという見立てで医師も同意し、なにもしないことをする、という脳を休める作業をすることとなりました。私の場合は、先日入院という出来事があり心理的負担もかなりのものだったのでそれが自覚できていなくとも、脳の疲れにつながっているということでした。自分では動けそうな気はするんですがね。

なにもしないことをするという事

実際家に戻りやってみました……眠い。ということでカウンセリングの際にも指摘されていた眠気対策に30分毎のタイマーを設定しておきボーっとしてみる作戦を取ってみました。一応起きていられますね。

結果どうなるかはまたそのうち。今日はそんなかんじです。

ぼーっとすることしか

飽き性でブログは半年おきの更新になってますね…忘れた頃に書きたくなる、まあ暇つぶしですが。

日々流れ行く時間をぼーっと過ごしている最近です。ここで眠ってしまうと一日気分が重苦しくなりひどいもんです。そのため30分おきに寝ないようタイマーをかけて目を瞑っています。
うつの回復途中にある倦怠感はどうしたらいいんでしょうね。やれば面白いであろうことはわかってるんだが、手が伸びない。ちなみに半年前も同じこと考えて悩んでたようで。根深い問題のようです。

しかし、忘れた頃にブログを書きたくなるのはなんなんだろうか。長文書くのは苦手なはずなんだけども、なんというかそういう時期がくる。承認欲求が高まっているのかな。ただ承認欲求のためブログを書くというのも動機としてどうなんだろうか。あまり自分では良い気分ではないんだけども。じゃあ書かなきゃって堂々巡りになってる。まあそれでも書くことで自分の体調が良くなるのならばそれでいいのかもしれない。

今日はブログとしたが明日には個人的な日記にするかもしれない。なにか目的を定めればいいのかもね。例えば気になったワードについて述べてみるとか。考えをまとめる練習になって良いかもしれない。

 

とりあえず今日はこんなところで。

ぼくにとって不安とは

吐き出したいものたくさんあれど吐いたところでどうなるのだろう

何気なく零した水が蒸発して雨となり、川に流れ海へと届く
そんな何気ない一言を吐き出す権利は自分にあるのだろうか
雨になってくれるのだろうか
海へ届いてくれるのだろうか

ここはどこだ

ここどこ?というくらい放置されていたので、入院を期にまた開墾するよ。

 新しく入ったグループの皆さんよろしくどうぞ。(継続性は期待できない)

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久しぶりなのは

久しぶりに投稿。やっぱり続かない、というか言いたいことは140字、つまりTwitterで済んでしまうということなのです。

いやまああまり言うことないから、ホラ。

ということで短文投稿としてやってみるかという訳でして。

最近は体調、気分も良く過ごせています。好調期ですかね。ただずっと考えていることがありまして。叔父に怪訝な顔されて馬鹿にされていると勝手に解釈していることがあるのですよ。まず自分が仏教やら哲学好きで生き死に、人の苦しみってなんぞ、楽、を選択するにはどうすれば良いのかということをよく考えるのが多いなあ、なんて話をしたら怪訝な顔されまして。ここまでは良かったのですが、それならシリアに行って某ステートメントの人らを説得して来いなど言いまして。そこでカチンときました。そういう話じゃないだろと。個人がどう成熟していくかに興味があるのであって、メシアになどなるつもりも、そんなこと考えてすらいないということです。やはりニホンでは宗教的な話になると集団を対象に物事、話が進んでしまうなーと。

そんなことじゃない。人一人として自分にどう苦を抜き楽を与することができるのかただそんな話です。余った楽はどんどん身近な他人に分けたいものですが。

 

そんなお話。

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にほんで生きる

あー日本とかマジ終わってるー、海外に移住したいわー。

とかそういう国を捨てるお話ではありません。ですが、まあ、1選択肢としてそれもアリでしょうね。選択肢として。私の現状として、これからにほんで生きていくとはどのようなことなのか、を纏めてみたいとおもいます。
まずは現状、前提条件をあげていきましょう。
・20代後半にさしかかった大卒男性
・田舎である
・実家で両親と暮らしている
・兄弟は別の県で暮らしている
・資産は不明、親がゴニョゴニョやっているらしい
・不安障害を患っている、精神障害者手帳では2級に相当する模様
・障害から定職についていない
・働くには病状の安定化が必要
・働くとなるとパート・アルバイトとなる
このくらいでしょうか。これらを私が知りうる範囲のことから考えてシミュレーション()でもしてみようと思います。そしてその結果から何を考えるか。


大卒で20代後半にさしかかったとなると、もう仕事での位置がある程度固まっている頃ですよね。出世などがチラチラみえたりするんでしょうか。現在の私、病で仕事はドクターストップ。辛い。ほんとに。焦燥感しか無い。特にこれと言った特徴もありません。

次、田舎である。私の住んでいるとある田舎だと何処の高校を卒業したのだとか、大学行けたんだねなどその程度の話になってしまいます。特に高校は重視されまして。早々に蹴ったあとの事業所での面接でもその話題となり、必死に進学グループにいたことをアピール、そうしないとお話に入れてくれないんですね。まあ。おそらくこのクソ田舎できちんと大学に行く勉強をする力、計画性などはあるかみたいんでしょうけど。確かに指標がないですもんね。

ちょっと纏めていきます。親はもう定年過ぎても働いてます。申し訳ない。兄がいますがうまくやっているようです。資産は不明です。実家で両親と暮らすと結構なストレスがあったりします。衣食住足りてるのだから文句言うなって話ですよね。うーん。

働くことですか。定職にはつけなさそうなんですよね。お世話になっている事業所があるのですがそこでパート・アルバイトが精一杯そうです。それでも冬になると体調崩して働けないとなるんですけどね。どうしたものか。

とにかく田舎にはサポートしてくれる施設が少ない。その支援もいきなり生計を立てるためになんて壮大な計画立ててくるんすよね。はっきり言って働くことってまず第1ステップとして生活のためじゃないんですよ。その部分って私のように実家で扶養されているか福祉がサポートしてるじゃないですか。

まず何をするかって、病気を”寛解”させることじゃないんですかと。どうも働かざる者食うべからずが曲解されて働いてメンタル回復させろという思念をヒシヒシと感じて。

甘えだ何だ言われても途中から、繁忙期になって倒れたらやっぱりだめじゃないかと罵るんでしょう。当たり前だよ、治ってないのだもの。

まず治すこと考えてくださいよ。一般的な土俵に持ってきたって相撲取れるわけないじゃないですか。

閑話休題

つまり継続的に働けないのが現実ということです。それに対応した就業プランを提供する力はクソ田舎の企業にはないと。となると、親が亡くなったら福祉に頼らざるをえないわけですが。これができるのかと。もう来年からでしょうか、精神障害者雇用の義務化も始まるらしいじゃないですか。より厳しくなりそうですね。仕事がまともに出来ない私にとっては、社会のお荷物という烙印を押されて終わりそうな予感。

 

真っ暗な方向に考えすぎましたかね。でもね、こういう人間が生きているのが実際の社会なわけで切り捨てられないようしがみついていこうと思います。そろそろ社会の転換期というか多様性がどんどん現れてくる、それをどう受容していくか、それが出来る国なのか。問われてること見ないようにしてないでしょうか、この世界。

 

そんなかんじです

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丸メガネを掛けて視る世界(ただの通院)

久しぶりにタイトルにある、丸メガネをかけた。

ということは外出したか、メインPCのあるイスに腰掛けたということである。今回は外出であった。それとカテゴリとしては病状ログがメインになりますでしょうか。

 

とりあえず。昨晩18時だろうか夕食を取りそれから翌午前3時頃まで寝ていたようだ。3時から1時間ほど消えたい、その理由を延々考えていた気がする。疲れて4時頃にはまた寝たようだ。そしてちょうど9時頃母親が2階へやってきたのを期に朝の薬を飲みに行こうと親と顔を合わせた所、親の顔が変わり病院へ行くべきだと半ば強制的に連れられてきました。いや明日受診日だったんですけどね。なんか感じ取ったのでしょうか。

 

病院です。予約ではないのでかなり待ちました。もうこれで全体力消耗。呼ばれるのを待ちます。なんというか、自意識過剰なんでしょうか、こちらは見ていないのに他者の視線を感じる、そういうことが非常に多いんですね。これが苦しい。自分は何か変なのかと。嫌な感じなので斜め上らへんやら、病院の情報掲示板などに目を向けているのですが一定数確実にみている。こわいです。気にしたら負けなのかなこれは。

まあいいんですよ、とにかく疲れて。やっと呼ばれて2,3日前にPCにへばりついて残しておいた受診メモを渡し。結果イフェクサー増量です。以前の処方に戻りました。これで以前(去年末あたり)の体調に戻ってくれたら良いのですが。しかし肝心なこと忘れました。ホリゾン注射。やってく?と聞かれたのにいえ、大丈夫ですって何が大丈夫なんだ。あれで1~2日乗り切ってイフェクサー効果発現で大勝利だったんじゃないですか!?やっちまった。まあ仕方ない。ワイパックスに頼ります。

しかしまあ、お布団から動けないのはどうしようもなく、先生も大変ですね・・・と言う他無いようで。薬の調整で何とかすることになりました。

イフェクサー、わりと即効性があるので明日どうなることやら。

ちょっと余計なお話

待ち時間、現代のヨブ記を読んでたんですよね。読んで内容頭に入ったのは数割な気がしますが。ただなぜ自分だけと思いそれをどう消化するのかということはわかった気がします。私はどこかで神様に期待してましたね。熱心な宗教家ではありませんが、神様は信じていたというより信じたかったようです。そこで、なぜ自分だけと思うのはまあ、冷静に考えて不合理だよなと。酷い抑うつ、落ち込みの中ではそれは普通だと思うのも仕方ないと許してください。こう考えるのは仕方ないとしてそれをどう消化するか。それは、起こってしまいました、これからどうすべきなのでしょう、どう一手を打つべきでしょうと首を少し起こすことですね。ただこれは神様に願うときという場合限定でしょうかね?それでも、自分の中で見守ってくれる高次の存在がいるという安心感はすごいものだと思います。私は正直神様は信じられません。というより嫌悪感を持ってしまう大昔の出来事があったからです。

最初は日本の神様を崇め奉る良いものだったのでしょう。でも私が見たのは札束を積むことで徳が得られるという謎の宗教、神様。わりと日本の神様、天照大神とも関係があったはずの組織です。そんな話を聞いてしまいなんだカネで解決できるんかと諦観、歪んだ価値観になってしまいました。

でも、現代のヨブ記侮れませんね、ちょっと信仰心が湧きそうになりました。どの宗派に属するでもなく個人として高次の存在を認め畏敬の念を抱く。それで楽になる部分もないでもないなぁと考えていたところで、診察に呼ばれました。

こちらにリソース割きすぎてホリゾン筋注忘れたな。うん。そんな感じで生きる意味について気になってしまうのでありました。最終的には何を望んでいるのかわかりませんが。意味に取り憑かれてますね。

でもアレなんですまわりのオトナからは意味の無いものは無いのかと問うてもはぐらかすばかりで真面目に生きてんのかこいつら(←おい)などと暴言を吐く次第でもあるんです。しかしこのはてな界隈ではあっさりとどこからともなくハイヤーなナレッジコメントが飛んできそうでコメントは閉じております。ごめんなさい。簡単に答えを知っても、本当にそれが答えなのか、それは自分が目の前に対峙してわかるものだと頑固な面ある私なのですんません。

まだまだ生きようという気はあるようですね、たぶんイフェクサー増量のおかげですが。

 

そんなかんじです